今年7月、東京オリンピックの開催にあわせ57年ぶりに大空に五輪を描いた航空自衛隊のブルーインパルス。選び抜かれた中に、みやき町出身のパイロットがいました。

 東京オリンピックの開会式に合わせ、都内の空に五輪を描いたブルーインパルス。卓越した飛行技術で、多くの人を魅了しました。そのうち1機、黒のスモークをひいたのがみやき町出身の3等空佐・河野守利(かわの もりとし)さん39歳です。【河野守利3佐】「一生に一度あるかないかの大きな国際的なイベントで飛ばせてもらって、そういうときにここに在籍できてすごく光栄」

 河野3佐が所属するブルーインパルス。宮城県にある松島基地で日々訓練に明け暮れています。【飛行隊長・遠渡祐樹2佐】「広報部隊としての役目を持っていて、航空祭とか全国の地方のイベントで飛んで自衛隊の活動を知ってもらうきっかけをつくる」ファンブレイクという編隊飛行では時速700キロ以上で飛行しながら機体同士の間隔はわずか90センチしかありません。6機で行うアクロバット飛行のなかでも、高い技術力を求められるのが1機で激しい動きをする5番機リードソロと呼ばれるポジション。最大で体重の6倍ほどのG・重力がかかります。【河野守利3佐】「頭の上から押される感じ、体は沈む、血液が下がってくるのが影響がある。ブラックアウト、失神してしまうので、Gスーツと筋力で血を押し戻して、意識を保つそこが一番難しい」河野3佐はこの5番機を担当しています。【河野守利3佐】「低い高度を飛んでいると、一瞬のミスが命とりになる。しっかりと睡眠と食事をとって万全の状況でフライトできるように」

 全国の隊員のなかから凄腕のパイロットたちが集まる部隊ですが、誰もが5番機を担当できるわけではないといいます。【飛行隊長・遠渡祐樹2佐】「佐賀出身の河野君とかは、6機ある飛行機の中でも、かなり操縦技量がないと乗れないポジション」ヘルメットには数字の5が逆さについているのがその証。高い技術が必要な背面飛行などが多く地上から見たときに見えやすくするためだとか。

 河野3佐がパイロットを目指そうと思ったきっかけは・・【河野守利3佐】「飛行機飛んでいるのを見るのが好き、かっこいいなと」中学卒業後、航空自衛隊に入隊。パイロットの道を目指すことになりますが、その道は険しいものでした。【河野守利3佐】「学生教育とか見てもらうとわかるんですが、毎日点数つけられて、基準に達しなかったのが何回か続くと首になっちゃう、それにいつもおびえながら、その点数をどんどんクリアしいけないので、そういう努力を毎日やっていたなーというので、毎日死に物狂い」念願かない戦闘機のパイロットに。そして、希望だったブルーインパルスへ配属。全国各地でさまざまな人を魅了してきました。

 しかし、任期は原則3年。いま河野さんは後輩に5番機の座席を譲ろうとしています。後輩の江口健1尉。訓練の際に一緒に飛び技術を伝えています。【江口健1尉】「先輩の期待に応えられるよう、今後もがんばっていきたい」その後輩、実は佐賀とも縁があったのです。【江口健1尉】「久留米出身です。佐賀のゆめタウン行きます」およそ10人いるパイロットのうち6人が福岡県出身、1人が宮崎県出身と偶然にも九州勢が多くいます。さらに、【近藤哲史3曹】「多久市出身です」。機体を整備する整備員にも佐賀県出身者が。【近藤哲史3曹】「僕もブルーインパルスにはあこがれてきましたので、とても光栄。佐賀県の方にもここから松島の地から夢と感動を届けられたらいいな」

 狭き門を突破し戦闘機のパイロットになり、希望したブルーインパルスの隊員にもなった河野3佐。。河野守利3佐】「一筋縄にはいかないことばかりだったが、ひとつひとつ問題を解消していきながら、同じことを学ぶ同期と切磋琢磨しながら、やっとたどり着いたパイロットだけではなく、なんでも夢や希望をもってそれに向かって一つ一つやっていくことが大事」

 きょうもどこかの空で見る人に感動を与えています。

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