2021年夏の東京オリンピックで、アメリカ・サーフィンチームの合宿地となった牧之原市に一人のアメリカ人男性が移住することを決めました。オリンピックのレガシーをつなげていきたいと、ある取り組みをスタートさせました。

 アメリカ・ロサンゼルス出身のジョン・オオモリさん59歳。コンサルティング会社の社長です。ジョンさんはこの春から牧之原市に事務所を構え、この地へ移り住みます。
<ジョン・オオモリさん>「おはようございます」
 ジョンさんの1日はサーフィンから始まります。なぜ、牧之原に移住するのか。きっかけは2021年の東京オリンピックにあります。ジョンさんは体操のアメリカ代表に選ばれるなど、オリンピックを目指す選手の1人でした。しかし、けがでその夢は叶いませんでした。
<ジョン・オオモリさん>「1988年のソウルオリンピックに出るつもりだったけど、けがしてしまって終わりました」
 それ以降、スポーツからは離れていましたが、ある日、1本の電話が入りました。電話の相手は、アメリカのスポーツ協会で働く体操選手時代の仲間でした。
<ジョン・オオモリさん>「ジョンさん手伝って下さい。オリンピック準備しないといけない。2018年に30年間務めた証券の仕事を辞めました」
 ジョンさんは4年前からアメリカのオリパラ委員会の日本駐在員になることを引き受け、サーフィンチームの事前合宿地だった牧之原市で選手の受け入れ準備を進めました。
<牧之原市職員>「いよいよですね。どんな気持ち?」
<ジョン・オオモリさん>「ドキドキしています」
 しかし、コロナ禍のオリンピック。計画は次々に変更を余儀なくされました。オリンピックの1年間の延期や多くの制約がある中でも、ジョンさんは牧之原の人たちと一つとなって選手に寄り添い、サポートを続けました。
<ジョン・オオモリさん>「地元のサーフショップやお肉屋さん、野菜屋さんなど全部が力を入れてくれて、最高の事前合宿ができました。やっぱり牧之原は素晴らしいと自分が思ったんですね」
 すっかり、牧之原の街に溶け込んでいるジョンさん。アメリカチームからは、3年後のパリ・オリンピックでもコーディネーターを頼まれていました。しかし、ジョンさんは新たな目標を掲げ、この街で暮らすことを決めたのです。
<ジョン・オオモリさんの高校での講座>「しかし、私はアメリカで育ちました。ロサンゼルスで生まれ、育ちました」
 ジョンさんは市内の高校生たちと交流を始めました。講師として英語を教えるほか、自身の経験を活かして夢を持つことの大切さなどを若者に伝えていきます。
<相良高校 朝倉徹校長>「田舎の比較的おとなしい高校生がこうやって新しい刺激を受けられるというのは、本当にありがたいなと思います」
<牧之原市 杉本基久雄市長>「選手の立場、おもてなしをする側、双方の気持ちがわかるなかで、アメリカチームと牧之原をつないでくれた、絆を作り上げてくれた、仕掛け人だったと思います。ジョンさんがいたからこそ、このホストタウンが成功できたと思っています」
 ジョンさんの次の目標とは。
<ジョン・オオモリさん>「2028年のロサンゼルス(オリンピック。)私の生まれ育った場所で日本の選手たちに(東京五輪で)牧之原市がやってくれたように、ロサンゼルスで手伝いたい」
 東京オリンピックによって生まれた深い絆。ジョンさんと牧之原の新たな物語が始まりました。

#オレンジ6 #おれんじ 3月15日放送

NIHON2020.COM - Olympic Games Tokyo 2020.