安倍元総理は、憲政史上最長となる通算3188日間、内閣総理大臣を務めました。『アベノミクス』と呼ばれる経済政策を打ち出し、2度目の政権では、何度も選挙に勝って、長期政権を築きました。
『外交の安倍』と呼ばれた安倍晋太郎外務大臣。父・晋太郎氏の後継として、1993年に初当選し政界入りした安倍元総理。2002年、官房副長官として小泉総理の北朝鮮訪問に同行。拉致被害者5人の帰国を実現しました。
40代で自民党幹事長に就任。党の要職の経験がないままの抜擢は“サプライズ人事”と呼ばれました。そして、2006年、戦後生まれとして初、戦後最年少52歳で総理に就任します。しかし、閣僚の失言や、『政治とカネ』の問題が浮上し、4人が辞任します。この年、総理として初めて臨んだ参院選挙で、自民党は敗北。1年で退陣しました。
2012年、安倍元総理は、自民党の総裁選に再び出馬して勝利。その後の衆院選で大勝し、自民党は政権復帰を果たします。総理に返り咲いた安倍元総理が打ち出したのが経済政策『アベノミクス』です。財政出動と異次元の金融緩和で、株価はバブル崩壊後最高値を記録。歴代政権が避けてきた消費税の増税も断行しました。
安倍元総理は、外交の場でも存在感を示しました。2016年、現職のアメリカ大統領として、初めてとなるオバマ大統領の広島訪問を実現しました。アメリカ・トランプ大統領との会談を重ね、別荘に招かれるなど、信頼関係を深めました。ロシアのプーチン大統領とは27回もの会談を重ね、地元・山口にも招きました。北方領土問題では、「2島先行返還」に舵を切り、進展を目指しました。東京オリンピック・パラリンピックの招致を実現。リオで開かれたオリンピックにも登場し、大きな話題となりました。
2015年、安倍元総理は、歴代政権が維持してきた憲法解釈を変更し、『集団的自衛権』の行使容認へと踏み切ります。そして、祖父・岸信介元総理の悲願だった『憲法改正』。安倍元総理は、自民党に改正案の具体化を指示、「自衛隊の9条明記」を公約に掲げ、実現を目指してきました。
“安倍一強”と呼ばれた長期政権。その終盤には、さまざまな問題も指摘されました。国有地の売却をめぐる『森友問題』では、財務省による公文書を改ざんが明らかになりました。特区の認定をめぐる『加計問題』。自身の後援会が主宰した『桜を見る会』では、政治と金の問題も指摘されました。
そして、2020年8月、持病が悪化したことなどから、国政に支障が出る事態は避けたいとして自ら退きました。
安倍総理(当時):「拉致問題を解決できなかったのは痛恨の極みであります。ロシアとの平和条約、また憲法改正、志半ばで職を去ることは断腸の思いであります」
3188日、憲政史上最長となる在任期間でした。その後、体調が回復した安倍元総理は、この参院選でも全国各地を回り、応援演説を精力的に行っていました。
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