中島輝士選手は、柳川高2年秋の福岡大会・九州大会では投手として9試合で5失点。5完封・100奪三振・ノーヒットノーラン2回の活躍で3年春選抜出場。

高校卒業後プリンスホテル入社。3年目に右肩血行障害の手術で、投手断念し打者転向。87アジア選手権兼ソウル五輪予選では日本代表の4番を務め、打率.714、4本塁打、14打点の成績で五輪への出場権獲得に貢献。

ソウルオリンピックでも4番ファーストで5試合でチームトップの10安打、打率.436、1本塁打、6打点の成績で銀メダル獲得に貢献。

ドラフトでは、福岡ダイエーと日本ハムが1位指名競合、抽選で日本ハムへ金属バットと木製バットの違いに苦労するも開幕1軍で開幕7番ライトでスタメン出場し9回裏4-4の場面で山内孝徳投手からプロ初本塁打がサヨナラホームランとなる。

4年目92年30歳シーズンにキャリはハイの.290 13本塁打 66打点をマーク。しかしその後は思った成績は残せず近鉄移籍も活躍できず98年引退。

通算成績
641試合 453安打 52本塁打 打率.251

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